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  • ンノザキ

【この畑のネジコクトについての解釈】


 
【前置き】

この畑は、根地さんの演じるジャンヌにひたすら気が狂っています。


でも根地黒門のジャンヌといえば、センシティブなテーマも含んでいるために、彼の仄暗い部分だけを取り上げてジャンヌを語られがちなことが誠に遺憾で、自分は「根地黒門のジャンヌはトラウマに囚われた一面性だけで創られているジャンヌではないですよ強強強強火語気勢」なので、「現時点でこの畑では、根地さんについての解釈は以下のように考えていますよ」というのをまとめました。


(※これは現時点での解釈であり、今後解釈が180度変わる可能性も全然あります!)


(誤解なきように書きますと、自分は苦手な物が多いロンリネス自給自足農夫ですが、自分の場合は「見てしまったら見に行った自分が100%悪いので、基本的に外部に見に行かない」という自衛をしてるので、SNSフォローしてくれている方は気にしなくて大丈夫です)


かなり拗らせていることは自覚しているので、他ベクトルに住む方は読む際ご注意下さい。


 
【自分の根地黒門についての基本的な解釈】

まず第一に「根地黒門の演じるジャンヌや脚本の、全ての根底には、彼の信じる呪いやトラウマが澱んでいて歪なのだ、闇なのだ」と評する解釈が、自分は解釈違いで…。


彼のトラウマが、自覚的にも無自覚的にも彼に影響を与えている部分があるのは事実で、命を削るような生き急ぎ方は「いつか必ずその時が来る」という呪いを信仰にも近く心に持っている結果であるし、ジャンヌの魅せ方が上手い理由のひとつには自身の持つ父の愛人像を突き詰めていたからという理由もあるかもしれない、他にも明言されている影響は色々あり、それらも彼を構成している1つではあると思います。


でもJJという物語は、一部仄暗い要素を内包していてそれが魅力でもあるけど、全体を通しては一貫して爽やかで希望に満ちた物語であると僕は感じています。その彼らが1年を通して打ち込んでいく舞台に、そして彼らの事を真摯に見つめ、共により良い舞台を作っていこうとする根地さんが生み出す脚本や演技の全ての根底に、実は歪んだ澱が覆っている…なんて事は無いと思うんですよ。


根地黒門は、演じる上で創作する上で、自己を完全に切り離すタイプではないけれど、かといって自分の負の部分をエネルギーにして創りあげるタイプでもない。彼は別にそこと戦う事を命題に生きている訳でもない。


そして、ユニヴェールの舞台は自分のためだけに作ってる訳ではなく、彼は自分がクラスの命運を左右するかもしれない立場にあることに自覚的であり、みんなの演者としての成長や可能性を楽しみにしているんですよ。そんな彼がみんなのための舞台に、意識的にであれ無意識にであれ、べっとりと呪いや怨嗟を混ぜ込むような自慰的な表現はしないのではないだろうか。


瀧姫の時だって自身と向き合えなかったかもしれない。だけど、宙為のペアとして隣に立ち最高の評価を得、ジャンヌとして誇りのあるフミさんが根に持つほどのインパクトを与え、その時は完成はしなかったが転科がなければ完成すると思っていたと宙為と箍子先生が言うだけの魅力があった。それらの評価が、自身のトラウマに根ざした自傷的な演じ方だけで得られるとは思えない。あの時自身と向き合えなかったのは事実だけど、我死也のためにあの時できる全てを注ぎ込んで演じたアルジャンヌはやはり、彼の瀧姫への想いが詰まった、なにより美しい大輪の華だったと思う。


僕は、カイさんが「頭の中はいつでもあいつが心から楽しめるもので溢れている」と根地さんを評したセリフがとても好きです。


背負う呪いや仄暗い部分も彼の一部ではあるけれど、だからこそ今を全力で楽しむ彼の中はめいっぱい楽しい事で溢れていて、だからこそいかなる時も舞台へ懸ける真摯な想いは揺るぎなく、その一貫した姿勢を持つ根地さんが創る脚本と、それを彩る演技には、ただただ、より良い舞台を作ることへの希望と期待と楽しさが一杯に詰まっていると思う。


だから、彼のジャンヌは「自身の男性性からの逃避」や「女性像への怨嗟やネガティブな思いが込められた闇」などで語られるものではない。


「自身の才能を自覚し、自ら選択し、楽しんで美しく咲かせている魅力的な華、それが根地黒門のジャンヌだ」というのがこの畑の解釈です。


 
【ルートについての解釈】

この畑は最初の注意書きにもある通り、立花ルート(恋愛なしルート)の住民です。そのため、二次創作もSNSポストも、基本的には立花ルートの世界線を前提として書いています。


でも(これは根地さんに限ったことではないんだけど)、各ルートは当然ながらその人が主題だから、主にその人の抱える問題や解決がテーマになってるけど、じゃあ他ルートや立花ルートでは、みんな救いがなく乗り越えられないのか?という事について。


もちろん各々が抱える問題を、最短距離で乗り越えられるのは各ルートだと思います。だけど、ルートに比べればゆっくりではあるけど、主役じゃなかったみんなも、一歩一歩自身と向き合い成長し、未来に繋げている姿が、必ず描かれています(根地さんに限らず、全てのキャラクターが)。


それは全ルートをプレイするとひしひしと感じることで、もしその人のルートに入らなくても、焦点が当たってなくても、立花君がどの道を選んだとしても、彼らの生きる先は明るく希望に満ちたものだ、という暖かさを、JJはいろいろなところに散りばめて伝えてくれている。


根地さんについては、自身について「安全な場所で自分の好きな事だけやり散らかしてきた」とネガティブな言い方をして、ルートに入ると避けていたものと徹底的に向き合う事になるけど、僕はトラウマって絶対乗り越えなきゃいけないものなのかな〜という思いがあるので、必ずしも根地ルートが彼の人生にとって唯一の最善なのかというと、別にそういうわけではないと思っています。


根地ルートでは向き合わざるを得ない状況だったし、乗り越える事で得られるものも大きかったけど、別に生涯ずっと鳥のように高みから地上を見下ろし、才能という奇抜なライトで人を照らして生きる人生もひとつの楽しい生き方で良いと思うし、乗り越えずとも冬公演でドミナと向き合えたように、少しずつ無意識のストッパーは外していけばいい。ユニヴェール卒業までに(ルートに限らず)みんなと一緒に色々な経験をしながら成長してきた彼を見たからこそ、これからも楽しいことを盛りだくさんに見つけていく彼の人生で、そんな機会はたくさんやってくるだろうと感じます。


だから、僕の個人的な見解としては、根地ルートでしか彼の未来は担保されないものではなく、立花ルートだろうが他ルートだろうが、そのうちもしかしたら乗り越えるきっかけが訪れるかもしれないし、はたまた時折聴こえる微かな波の音と共にずっと生きていくことになるかもしれない。いろいろな道がある。どうなるかは分からないけれど、それでも彼のゆく先には、キラキラとした輝きに満ちた景色が広がっていると思っています。


おわり

 

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